悲しみにくれるな。

世間には突っ張り棒がある。

タワシも必要に応じて突っ張るタイプの人間なんだけども、リビングの壁にカードを並べるために突っ張ろうと思った時に、ずっとモヤっとしていたことが明確に思考に迫り上がってきて、あぁこれからも使うけれどここには突っ張り棒を使いたくない、と強く思った。

だから木の棒を壁の柱と柱の間と同じ長さに切って、既製品のつっぱり棒の端っこのゴムだけを取ってきてつけて突っ張った。

そしてカードを並べた。

突っ張り棒のどこがどうしても許容できないかというと、クルクルと伸ばすほうの棒がもう片方の棒より細いことなのだ。

この「細い」というビジュアルがタオル掛けの黄ばんでしまった吸盤みたいに、アイデア商品のどうしてもクリアできなかったダサさを強調している。

それを使う自分は便利さに容易く負け、夢を諦めたんだ、と、なんとなく自己を否定してしまうのだ。

だから木の棒を突っ張った時は大満足だった。

 

それが先日、不意に落ちた。

度重なる乾燥や湿気のせいだろう。

残念だが捨てよう。

だがしかし、そう決めた途端にスッキリしたのは意外であった。

そしてはっとした。

物には寿命があるから新陳代謝が機能するのだ。

心も身体も物も新陳代謝は必要だと思う。

だがきっかけがないとなかなかエイヤーと新しくはできないのだ。

せっかく作った木の棒を、まだ使えるのに捨てることはできないのだ。

壊れることを恐れるなかれ。

 

さてと。

苦手なタイプの本を読んでいるので眠いがもうひと踏ん張りしましょう。

 

それではみなはん、また明日。

この場所で。

 

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