切なみの回想録

そういえば。随分前にこの道を自転車でぶっ飛ばした、とある日曜日の夕方のこと。向こうからやって来る、世間に牙を剥いたような顔をした坊主青年の自転車の後ろのカゴから何かがボトリと落ちた。

しかし青年はそのまま走り去る。

タワシは慌てて声をかけ、落とし物を拾い追いかけようとしたが、イヤフォンをしているのか、単に何も耳に入らないのかかなりのスピードで遠く小さくなってしまった。

落とし物を見ると、業務用のパック入りのたくあんだった。

その後、豆粒になってしまった青年の後ろでもう一袋、たくあんがボトリと落ち、あれあれといった顔をするショートカットのおばたんもいた。

おばたんはタワシに向かって「ねー。私も呼んだんだけど行っちゃったのよ。」と叫んだ。

タワシは愛想笑いをしてからたくあんを道端に置いておくわけにもいかないし、持ち帰るわけにもいかないので道の端にそっと置いた。

青年のカムバックを願いながら。

 

ふとショートカットおばたんを見ると笑顔でたくあんを自分の自転車のカゴに放り投げ去っていくところだった。

なるほど、考え方はいろいろなのだ。

だって青年が戻ることなく、また道端で打ちひしがれたたくあんを拾う人間もいなければ、たくあんは捨てられてしまうんだから。

だったらおばたんが食べたほうがいいじゃないってこと。

青年は大将に悶々と怒りを溜め込む日々で、また今、大事な下ごしらえの途中だった。それにも関わらず大将は今すぐ買い出しに行け、と怒鳴り散らしたのかもしれない。

逆らえずに自転車を走らせたが頭の中は大将への殺意でいっぱいだったかもしれない。

こぼれ落ちるたくあんのひとつやふたつ、オレの憤りに比べたら懐石料理の金粉。なんの意味もない。

そんな感じだったのかもしれない。

さらに、たくあんにとったら数々のお化粧を経てやっとオレの出番がやってくると思った矢先にコンクリートに打ち付けられ、道の端に放置されるなんて。

一体オレは何のために生まれてきたのかわかりゃしない、と涙していたかもしれないのだ。

 

タワシが正義なのか、おばたんが正義なのか。

永遠にアンサーは出ないが、出ないからかろうじて前を向いて生きていけるのだ。

だってもしも間違っていたと知ることになれば辛い。

自転車をぶっ飛ばしながらそんなことを思うタワシフライデーである。

 

それではみなはん、また明日。

この場所で。

 

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