やじろべぇ。

また一個やりたいことみっけた。

何をしても続かない子だねぇ、と両親にぼやかれ続けたあの頃が嘘のようだ。

まぁ、みっけたからって続くかどうかはまだまだわからんけれど。

 

でもいいのだ。

まずはやってみるのだ。

続かなくともジャスト・ゴーイン バック・トゥ・ジ・オールドデイズ。

あの頃に戻るだけなんだから。

何かを失うわけじゃねぇんだから。

何にも得られなかったねってだけなんだから。

 

それにしても何かを始めて、そして続ける気持ちよさってなんだろうかと考えた。

これはたぶんあれだな。

自分が生きてることを自分に許可できるみたいなそんな感じかもしれないな。

特になんつったってライスワークを捨てちまってさ、朝も昼も夜も酷い格好で腑抜けになってる自分は返品された不良品だわなって感覚がなんとなくあるからな。

そんな自分にやりたいことがみっかったってのはそれが例え誰の役にも立たないとしても自分の存在を肯定できるのだ。

 

だがしかし、やることが習慣となるとそれでは自分を肯定できなくなっちゃって、また新しいことをみっけないといけなくなるのは難儀である。

これは自分を肯定できるものが自分の中に何もないってことよね。

外にあると思ってるから摂取してるってことよね。

これは大変辛い旅路でもある。

永遠に狩に出かけなければならんのだから、ヘビーである。

自分を肯定するもなにも「我思う、故に我あり」なんだから、もういるのは否めないわけで、自己が存在していることは肯定せざるを得ない。

 

ただ、存在している自分に自分自身が合格点をあげられないのである。

なぜ?

世間が合格点をくれてないと思っているから。

誰に何を言われたわけでもなく、強いて言うなら応募した会社から不合格通知が届くくらいで。

知らん会社がタワシの魅力に気づけなかった大馬鹿野郎なだけなのに。

昼間にセブンイレブンへ行く途中で近所の誰かに見られて「あそこんちの娘はまたふらふらしてるのよ。」なんて言われてんじゃないかとビクビクするのだって、言われていたっていなくたってタワシの人生は1ミリも変わらないことくらいわかっているのに。

 

自分自身が自分の敵にまわってしまうのだ。

これはいかんぞ、タワシ!

と叱ってみる。

そうよね、ダメよね。

世間のお目目なんてクソどうでもいいわ。

やんややんやと楽しい感じでいきましょ、と思い返す。

 

いやでもさ、こうやって否定と肯定を行き来するのが人生ってやつなのだろう。

味わいなんだろう。

明日はどっちに傾いてんだろうか。

 

それではみなはん、また明日。

この場所で。

 

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