風邪を引いてから、ドラえもんの腹巻きをしている。
なんとなく、お腹があったかいのは良いことのような気がするからだ。
ところで。
「わかる」とか「わかった」ってことは物語に点を打つことなのだ。
物語はそこで終わるってことなのだ。
もしかしたらまた変化するかもしれない物語を。
そう考えると必ずしも「わかる」事が素晴らしいとも言えないな、と思ったりする。
点を打つことによって自分の可能性に境界線という名の枠を作ることになるからだ。
視野が狭くなるとも言えるのだ。
こういう閃きはある日突然降ってくる。
思考をやめなければ降ってくる。
だから考えることは楽しい。
それではみなはん、また明日。
この場所で。